新着情報

  1. HOME
  2. ブログ
  3. その他・コラム
  4. 「拝み合う」事が夫婦円満の秘訣!

「拝み合う」事が夫婦円満の秘訣!

先日叔父の一周忌でした。

その叔父の一周忌で曹洞宗のお坊さんが言葉をくださいました。

いつも法事の終わりの時に素敵な説法くださるのですが、今回とてもタイムリーな言葉を頂きました。

夫婦関係が上手く行っていない方が修復を行い円満夫婦になっていただくというプログラムを現在作成中ですが、お客様がもしかしたら陥る可能性のある壁にどう答えたらいいか?ということを考えていました。

身近な人と良い関係を築くということはとても大切ということはわかっています。
基礎的な人間の関係性が上手く行っていないと、どうしても全体が表面上上手く行っていたとしてもどこかで崩れる、そして、どうしてもその基礎に目を向けないといけないときがいつかやってくるからです。

でもこの説明を上手に伝えるのって難しい。

特に、「私は悪くない。悪いのは夫。なので、夫が折れて私に良い態度をしてくるなら受け入れる」と考えている方が、心から納得して修復の為の努力を行うかどうかは、その人の理解と決意が必要です。

理屈では何とでもいえるかもしれません。
しかし、理屈ではない何というか、世の中の真理、に近い納得できる表現があるのではないかと模索していました。

そんな時、タイミングよくお坊さんの言葉を聞くことができました。

「世の中で出会った全ての人は繋がっている。亡くなって初めてその人の存在の大きさに気が付くことが多いものです。
亡くなってからも拝むことでその人とはつながることができます。
しかし、現在生きていて、私自身と繋がっている人たちに対して常に拝み合う事で心の平和が訪れ私自身が幸せになれる。人は人と繋がる事で幸せになるのです。」

考え方の一つではありますが、とても納得できる考え方です。
私の中にしっくりと言葉が治まった感じがしました。

しかし、「拝み合う」ってどういう意味なんだろう。

拝むを調べてみると、

1 神仏などに、手を合わせ、頭を下げて祈る。「初日の出を―・む」
2 「見る」の謙譲語。お目にかかる。また、珍しい物、大事な物などを拝見・拝観する。「お顔を―・みに伺います」
3 懇願する。嘆願する。「金を貸してくれと―・まれた」

とあり、なんだかしっくりきません。

他にもいろいろ調べてみるとこんな表現を見つけました。
合掌は拝むことを意味しています。
日本では、仏様や菩薩様を拝む習慣に、神仏などの目には見えない力や働きへの畏敬の念が加わっています。
「すべては当たり前」「生きている」という自己の驕(おご)りの反省です。本来の私たちの姿は、すべては当たり前ではなく、目には見えないはたらきかけにより、生かされているのです。
ここに「申し訳なさ」「感謝」「尊さ」の思いが湧き起こり、これらの思いが合掌となって体現されているのです。

つまり拝み合うとはお互いに「申し訳なさ」「感謝」「尊さ」を思い合うにあたるのだなあと感じました。

お坊さんは最後に、
拝み合う事で世界もきっと平和になるだろう、と締めくくられました。

関連記事